笑う月、羊を数える。

安部公房の「笑う月」を読んだ。最近読んだ安部公房作品では短編集なだけに味付けはうすく、あっさりしていて読みやすかった。この短編集は安部公房自身が見た夢をテーマにした17編の短編からなる。「笑う月」を読んでいて、やっぱり安部公房は夢の中でも見る世界が違うなぁと脱帽してしまった。


「夢を生け捕りにする」
今作で安部公房は「夢を生け捕りに」しようと試みる。この試みを僕も試してみようと何度か試したが、肝心の夢が起きたときにはすっかり忘れていて、なかなか難しい。一昨日、久しぶりにみた夢は、実際にその日の午後、部屋の大掃除をしていたのだけど、夢の中で部屋に入ると、掃除をしてから一日も経たないうちに、もう絵の具とか物で部屋は散乱していた。という夢だった。なんという悪夢。(実際に掃除から数日たった今では正夢に。。)昨日も続けて夢を見た。最近知り合った4人のノルウェイ人が登場して、一緒にサイクリングをするのだけれど、僕だけ一輪車なので、なかなか皆に追いつけない。ようやく追いついて、僕たちはある小学校の中に入って行く。そこで国際交流として、日本人小学生とノルウェイ人4人がドッジボール対決をするんだけど、僕はどちらにも該当しないことに引け目を感じて、それを遠くで傍観している。という悪夢。この前見たのは夢の中で作品を創っていて、嫌になるくらいへとへとになって良い画が出来たと思って安心したら、目が覚めて、何も出来てない、昨日寝る前の状態から一切なにも変わってない。という最も嫌な悪夢。


僕は基本的にはあまり夢を見ないが、ほとんどの夢はすごく現実的で他愛もない夢ばかり。例えば、なつかしい友達からメールが来てて、なつかしいなぁと思うだけの夢とか、ご飯たべて美味しいなぁと思うだけとか、銀行に振込にいくだけとか。現実的で単調な夢と悪夢ばかり。


僕が今まで見た夢の中で、一番なまめかしく覚えている作品といえば、幼児の時に見た「巨大イモムシ保育所襲撃事件」。半透明の白緑色のカブトムシの幼虫が2Mくらいあって、犬が立つ時みたいな感じでよちよちと二足歩行で、だいたい10体くらいが門からやってくる、という凡夢だ。一番気持ち悪い夢はつい最近、気分が悪い日に見た夢だった。僕は頭部の左上の一点が活火山みたく赤黒く晴れ上がった高熱の胎児と一緒にベッドで寝ていた。僕は知らないうちに幼児の体に乗り移っていて、高熱で苦しんだかと思うと、横には白肝のようなカタチをした僕が横たわっている。しばらくすると、また僕は僕の体に乗り移って、隣に横たわるぬるぬるとした胎児を見る。僕と胎児の体を僕は何度も何度も乗り移る。たまに片方が姿を失うので、僕は”体”を傾けたりして、失われた片方を探し、体を取り戻したかと思うと、もう一方の体が姿を失う。乗り移り失い取り戻すを延々繰り返す夢だった。


どこからどこまでが夢で作り話かは分からないけど、安部公房の夢の記録は安部公房にしか見れない夢だなぁと思う。僕ももう少し面白い夢が見たいけど、なかなかむずかしい。夢の中で夢と気付いて、面白い方向に自分の身体を傾けようとしても、そううまくもいかない。


だいたい僕が面白い夢が見れないのは、睡眠導入方法が悪いからかもしれない。安部公房は「笑う月」の一話目「睡眠誘導術」でユニークな眠り方を伝授している。

眠れぬ夜は安部公房の「睡眠導入術」を用いて眠りへの介抱を行ってみよう。

まず西部劇に出てくるような場面を想像する。あなたは弓の名手のインディアン。山野上から騎兵隊が襲ってくる。その騎兵隊を狙って一本一本、丁寧に弓をつがえ、神経を弓に集中させて射る。

安部公房曰く4、5本目を射る頃には眠気がやってくるという。その先の話は「睡眠誘導術」を読んでいただくとして、僕はこれを試みたのだけれど、なんとなく僕はインディアンにはなりきれない。まず西部劇のイメージが頭に浮かばない。真っ白の箱の中にサボテンが3本生えただけの空間で、宇宙人のような華奢なインディアンが弓を射ろうとするのだけど、肝心の弓がない。何かを掴もうとするけど、すぐに背骨がぐにゃっと力を失って、倒れ込む。何度かインディアンを立たせようと努力した見たけれど、軟体動物のようにグネグネしていて、立たせることすら出来なくなる。これでは弓を射るなど到底不可能だった。


じゃあ僕の「睡眠誘導術」は何かと言えば、一番スタンダードな方法「羊を数える」の術だ。基本的には寝付きは良くてベッドに横たわると、3分後には深い眠りのなかにいるけど、たまにクダラナイことをあれこれ考え巡らせている間に眠るタイミングを失う時がごくたまにある。そういう時は羊をだいたい4、5匹数えれば眠りにつくことが出来る。全神経を羊を数えることに集中する。特に羊を想像するわけではなく、言葉としての羊を唱える。20匹も数えることはない。大抵の場合は効果テキメンなのだけれど、10匹を超すと「羊を数える」ことに飽きてくる。「羊を数える」ことに飽きてくると「眠る」ことに飽きてくる。だから10匹を超すと眠るコトをやめて、机に戻る。


もしサバンナのライオンが夢を見たなら、それはシマウマを食べている夢なのか、シマウマに追いかけられている夢なのかはわかりませんが、実際に見たことのない人間界のコンクリートジャングルを夢見ることは出来ない。また逆に人間の知らない世界を彼らは夢見ているに違いない。それも人間とは全く違う視点・色彩・時間軸でとらえられた夢なので、それはそれでおもしろいものを見ているんじゃないかと思う。


話は変わって、「夢」に関連づけて「夢落ち」について考えたい。「夢落ち」というのはあまりにもありふれていて一番おもしろくないお話の典型と現代ではとらえられている。それでも僕は「夢落ち」研究をするのが好きで、「夢落ち」作品のあらゆる技法や種類分けをするコトが些細な愉しみである。ここでそれを一つずつ紹介して行くと僕の「夢落ち」マニアっぷりが露呈してしまうので、あまりしませんが、僕はその研究を続けて、いつか新しい「夢落ち」を創りたいと3年くらい前から考えてるのですが、なかなかいくら「夢落ち」の構図やしくみを少しいじったくらいでは、まったく新しい「夢落ち」には到達せず、結局どこかの「夢落ち」にカテゴライズされてしまう。あらゆる「夢落ち」は出尽くしているので、ネオ「夢落ち」を作り上げるには、抜本的な「夢落ち」の見直しが必要になるようだ。(なんの話だ。)


夢について考えていると、またうだうだとどうでもいいことを書いてしまった。そろそろ、この雑記をしめくくりたい。僕は例えば今、目の前にいるオッサンが10分後にどうなるかについて真剣に考えて、オッサンが商店街を抜けてどこへ行くのか、持っているビニール袋には何が入っているのか、朝ご飯は食べたのか、なぜ傘をもっているのか、傘を広げたらどんな絵柄なのか、、、とかを想像することが趣味だ。そんなことをひたすら1時間くらい想像している時、僕は夢の中にいるような気分になる。その時の思考状態があんまりにも居心地が良いから、登校中に歩きながらそんなことをしていると、教室の前に着いても、まだその中にいたいから、教室を通り越して、無駄に階段を下りたり登ったりしながら、結局、遅刻したりしなかったりもするわけです。そこで想像を一時中断して教室に入ってしまうと良い夢を見ているときに、ばって誰かに起こされたときの不愉快な気分になる。


今日も良い夢みましょう。そんな感じで「笑う月」の話は終わり。

コメント

  1. 銀行に振込みに行くだけの夢とか、むしろ見てみたいです(笑)

    夢、
    考えてみると不思議ですね、日常生活のコラージュのよーで、無意識の中にも意識はあって、超現実主義を想ったり…
    なんだか余計眠れなくなってきました…

    でもおもしろい大見解でした…!
    良い夢見られそうです。

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  2. こんにちは。初めてコメントします。
    大きなカブトムシの幼虫の夢、僕も小さい頃に見たことがあります!
    ずっとトラウマで今でも覚えています。

    僕の場合は、夢は日中に見たものほど良く覚えています。

    それから、夢の中で他人の描いた凄い作品を観て、感動して、目が覚めて夢だったことに気付いて、自分の夢の中の住人の作品なんだから自分の物だってことで、実際に自分の絵として描いたことがあります(笑)

    そういう夢はお得感があって良いです。

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