グリニッジが勝手に決める標準時、歩き続けて気付いたこと

急にどこかに行こうと思った。今日は何か良いものが見つかるような気がした。それで他のことは後回しにしてどっかに行くべきだと思った。なんとなくグリニッジに行くことにした。グリニッジ天文台とかいう世界の標準を決める時計がある場所。一度、友達と行ったことがあるけど場所は覚えていない。何しか路線図でだいたいの方角を決めて歩くことにした。

まず土曜日の学校に行って、学校に置きっぱなしのスケッチブックを鞄に入れる。描くかどうかはわからないけど、もしものためにスケッチブックと日記帳と水彩絵の具を一式持って行く。

歩いてたら、だいたい道を思い出して40分くらいでグリニッジに着いた。フリーマーケットがあったので入る。なにかおもろいものはないかと物色する。僕の部屋には「オミヤゲボックス」があって、蚤の市とか雑貨屋で見つけたくだらない玩具を買ってはそこに入れる。それは僕が日本に帰ったときに中学とか高校の友達にあげるようで、もらっても特にも損にもならないようなお土産だけが箱の中に数十個入ってる。僕がお土産を選ぶときの基準は

・役に立たない
・宝物にはならない
・不必要さが逆にいかしてる

基本的には僕は役に立ちたくないので、そういう皆がゴミ箱に入れるか迷うようなものしか買わない。

今日買ったのは幼稚な恐竜の紙飛行機4機と変な突起がむにゅむにゅついたペン。あと透明のカタツムリが動くヤツ。



それで買い物が終わって海洋博物館に行く。清々しい土曜日の午後というよりは、どんよりとした土曜日の午後だった。

海洋博物館で船を見て、ぼーっと次の画の構想を練ったりして博物館を出る。
出たところで結婚式をしていた。色白の花嫁とおしゃれメガネの花婿、飴細工を頭に乗せた紫のドレスのおばさん、BGMのバイオリン奏者。ザ・ブリティッシュな風景じゃないですかー、としばらく眺めていた。

それからテムズ川の方に行って、茶色い川を見ながらぼーっとする。
それで遠くに変なスタジアムがあったので、そこまで歩くことにする。

O2スタジアム、8本くらいの黄色い鉄骨の突起がにょきにょきスタジアムから生えだしてる建物。パリのポンピドゥーセンターとかをデザインしたおっさんが創った。

グリニッジからスタジアムはかなり距離がありそうだったけど歩くことにした。別に帰りはバスでも帰れるやろし。それに、まだ僕は何か見つけれそうな気がしているのに、恐竜の紙飛行機以外、何も見つけていなかった。

ちんたら30分くらい歩く。ゆっくりと近づくのがわかる。途中で一つの家の塀の向こうに鉄の物体がおるのに気がついて、塀を登ってその鉄の物体を確認する。

エレファントがいた。なぜかアルミのエレファントがいた。

なんかおもろいもの見つけたかしら、と期待したけど、その家は人の気配もなく、ただエレファントがいるだけだった。塀を降りて、またスタジアムを目指す。僕の知らない場所で知らない人たちが知らないことをやってるんだなぁと思った。僕は僕の視界に入る領域しか見えないけど、変なやつは僕の視界の外には腐る程いるんだろうなぁ。

O2スタジアムに着いた。なんかライブとかやってんかなぁと思って中に入ると、中はショッピングモールから何から何まで押し込まれたアミューズメント施設だった。5時。まだ家には帰りたくなかったので映画を見ることにした。

無性に3Dが見たくなって3Dの映画を探したけど、3Dはあと2時間待たなアカンかった。ボブ・マーリィの映画が見たかったけど、それもやってなかった。それでティム・バートン監督の最新作「ダーク・シャドウ」が5時半からだったから、それを見ることにした。ティム・バートンは僕がモノスゴク影響を受けた監督。ただ最近の作品はだんだん ”老い” が出てきたのか、ギラギラしたものが無くなってしまった。でも尊敬する監督なので、それを見ることにした。たぶん、今日は2本くらい映画を見ることになるだろうなぁと思った。なんとなく今日は家に帰りたくなくて何かに出会うまで、ここにいたいと思っていたからだ。もし何もここになければ、もう少しテムズ川を進んで、そこらのベンチで一日明かそうと思った。

あまり広くはない劇場に客はまばらだった。映画が始まるまで10分くらい寝てて、それから長い予告編が続く。予備知識ゼロで英語字幕も無いのに見れるかなぁと思っていると映画は始まった。



映画が終わり、スグに帰ることにした。理由は
何かが見つかった気がしたから と おなかが空いたから だった。



「らしさ」というのはその人が追い求めるものではなくて、その周辺の人が、その人に「らしさ」を見いだしたときに初めて「らしさ」になる。

この映画を見終わったときに、ティム・バートンは「ティム・バートンらしさ」に固執しすぎている気がした。ジョニーデップに毎回のように変な化粧をするのも、そこに「ティム・バートンらしさ」があると信じているからのような気がした。映画のストーリー自体は、あまり転がらない展開が続く。最近のティム・バートンの映画は何かがつまらない。ブラックジョークのスパイスも少し甘めだし、「アリスインワンダーランド」もそうだったけど、表面だけが「ティム・バートンらしく」あろうとしている感じがする。

偉そうなことは言えないけど、ティム・バートンは「ハリウッドの変わり者」のイメージに拘束されているような気がする。本当は「ティムバートンは何を創ってもティムバートン」なのに、どっかで「これがティムバートンらしさ」みたいな限定を創っているんじゃないかと思った。設定は2世紀の眠りから覚めたドラキュラの話。ドラキュラというステレオタイプな設定がすごく邪魔だった。もっとティムバートンのネオドラキュラで良いのに、設定をいちいち説明してる感があった。

僕はあまり人の作品を悪く言うのは嫌い。でもティム・バートンの今作を見ていて、自分の感想に僕自身のもの作りにも共通する部分があったから書いた。

僕も「僕らしさ」を求めている。

「僕らしい」絵、「僕らしい」生き方。

そんなものはどこにも存在していなくて、何かをし続けるうちに勝手に誰かが言ってくれるもの。

僕はまだ未熟な僕を内側に持っている。それが成長して行く中で失われていく感覚が絶対にある。もう失われてしまった何かがあることも知っている。生まれたときには「泣く」と「笑う」しかなかった感情が、いろんな泣き方や笑い方を覚えてしまうことで、だんだん感情が平均化されてフラットなものになる。僕から失われてゆくものと得るものはちょうど同じくらいあるとしたら、いつまでも「ジョニーデップには厚化粧」という自分の内側が勝手に決めた概念を保持していたらだめなんだろう。
もし僕の根本に僕が存在するなら、僕が劇的に脱皮しても根本にある僕は変わらないはずだ。

「お前の画はどれもお前らしい。」と言われる。それは良い意味で言う人の方が多いけど悪い意味で言う人もいる。僕はそれを保持しようとしているのではなくて、今はそこから逃げられないから、そのままで良いと思っている。でもそれとは全く別の僕がいても良い。「らしくなさ」を恐れていたら、どんどん「らしさ」の渦に飲まれて行く。



映画館を出たら8時だった。まだ外は明るかった。電車で帰ろうと思ったけど、自分のことについてもっと考えたかったので歩いて帰ることにした。
帰りは思っていたより早く感じた。


僕は歩きながら僕が「正しい」生き方をしようとしていることについて考えた。
「正しい場所で正しい時間で正しく努力をして正しく考えて正しくものを創って」
すごく無難な生活を送っているなぁと思った。
「間違った場所で間違った時間で間違った努力をして間違った考え方をして間違ったものを創って」
それもありなのに、なぜか正しい方へ身を委ねているなぁと思った。
たぶん海外に来た責任のようなものから結果を追い求め過ぎていて最短距離を探そうとしてるんじゃないかと思った。もっと間違った心を持つべきなんだと思った。正しいものが正しい位置にある、なんていうのはスゴくつまらないことなんだと思った。


その後、次の作品について考えた。それと新しいアイデアについても考えた。
明日のことも考えた。テムズ川の川辺に横たわる白骨化したタイヤについて考えた。


「牛乳パスタ」について考えた。
まずくもなく美味しくもない僕お手製の「牛乳パスタ」。
寮の友達が「美味しいん、それ?」と尋ねてくる「牛乳パスタ」。

パスタを10分ゆでて、その間にフライパンにタマネギと人参とニンニクと豚をいためて、ええ感じになったら牛乳を入れて、何か適当に粉とか入れて青とか赤のチーズを入れて出来上がり。まぁよく言えばホワイトなんちゃらパスタ。
20分でつくって10分で食べる。



9時半、家に着く。部屋を開けると描きかけの画と書きかけの論文と洗濯物が干してあった。「牛乳パスタ」を食べて、今日あったことを今、書いている。



最近、頭の中がぐにゃぐにゃと溶けていた。脳が真っ白になっていた。頭の中に巨大な宇宙が広がっているような異次元感があって、その宇宙のブラックホールに記憶や想像が吸い込まれて行くような不安感があった。今日、9時間くらい町を彷徨って、6時間くらい歩きながら沢山のコトを考えた。あらゆることをゴネゴネと何時間も考えた。何かが見つかったような気がした。それと少しだけ僕が今どこに立っているのかがわかった気がした。


コメント

  1. 言葉の使い方が本当に上手いですよネ。
    とにかく、読んでいて楽しいです。
    頑張って下さいネ(*^^*)

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