しょうもなの国の僕、くだらなの国の世界



最近、頭の中のガラクタたちがやっぱり一番大事な自分自身なんだと気付いた。



「不思議の国のアリス」の作者 ルイス・キャロルは少女が大好きで生涯独身をつらぬいた。と新潮社かどっかの国の「アリス」の作者説明に書いてあった。それを読んで要するにあっち系の人やんって思った。実際、不思議の国のアリスは、アリス・プレザンス・リデルとかいうイカツイ名前の10歳位の女の子(とその他二名)に即興でアリスの冒険話を聞かせたのが原案だとか。それを知った時、僕はそのアリスの物語展開の不条理さがよりよく理解出来た。子供達が求めるものは筋道の通ったお話ではない。ころころと転がったりいきなり50メートルも飛び上がったり、ぺちゃんこになったり膨張するスリル感だ。そしてアリスという少女が新しい世界のお話に目を輝かせながら次の展開を待つ姿とそれに答えようとする30歳くらいの彼が想像出来た。


最近、自分の内部の幼稚化が進んできて、どんどん思いつくことはほとんどがしょうもないコトだ。それでふと僕は僕の内部にアリスとキャロルが存在しているのではないかと思うようになった。


僕の良くないところの一つに自分の創るものにしか興味がないというところだ。他の人が何を創ろうと僕が良いものを創れるかどうかだけしか頭にない。それでは考えが閉塞的になるので興味を持つように徐々にしてきたけど、それでもまだ頭の中では自分が何を創るかでいっぱいいっぱいになってる。


僕の創ったものを一番最初に見るのは僕で、創る僕は見る僕を楽しませようと創ってる。それが内部にいるアリスとキャロルなんだと思う。




この頃どうも芸術っていうマッチョな大男が嫌いで、どうしてこう理論という力技しかないんだろうと息苦しくなる。


ロンドンに来て日本人という微妙な立ち位置に気付いて、最初のうちは何を伝えるべきなのかと悩んでいた。何も知らない人間には何も語れない。社会的な問題を表面的だけすくったように描くなんて出来ないし、世界平和や戦争反対なんて唱える気もない。このマージナルな立ち位置から発信するべきことは何かと考えてきた。
こっちに来る直前は体内に磨きに磨き上げた日本刀を持ってて、ロンドンでもその鋭利な日本刀をふりまわしてやると思ってやってきた。ある面では振り回したが、ある面では突如おそったピストル攻撃にどうしたらいいのかわからないでいた。それで慣れないピストルに挑戦してみたがいまいち近距離戦にある興奮を感じれずにいた。でもやっと日本刀を向ける主題が見つかりそうな気がする。少なくともそのためにすべきことはだいたいわかってきた。


たぶんそれはくだらないことをひたすら考えること。


僕は毎日、自分の中にいる幼児にお話を聞かせる。それを一つずつ構築していって画の重要なアイデアを探す。
大きな時事問題に立ち向かう人にも普通に日々を過ごす人にも気付けないごく日常的な小さな事象が「僕らしさ」じゃないかと気付いた。


人種問題を描く画家はいくらでもいる。でも例えばよく行くスーパーの黒人のおばちゃんの顔面とボディの威圧感が怖くて、どうやったらレジ袋をクールに且つ俺はお客様だぜ!感を見せつけながら、さらには俺はもうここに長く住んでる者でね、という地元民の雰囲気を漂わせる手つきで受け取れるか、を毎度模索していることなんて表現する画家はいない。でもそこにこそ本当のオリジナルな視点があり、まだ言い尽くされていない人の本質があるんじゃないかと思う。





変に格好つけた画家にはなりたくないし、もともとガラクタ思考だから格好の良い画家には到底なれない。でもそれでいいやって思う。
「画を描く理由」
よくミュージシャンが「なぜ音楽を始めたのですか?」という問いかけに「もてたかったから」とか「ちやほやされたかったから」とかって言う。
それを聞いて、昔は本当は違うだろって思ってた。もっと何か大きな理由がその道にお前を導いたんじゃないのか?って。
でも最近ようやく ”画を描く理由” なんてそんなもんなんだろうなってわかってきた。
僕はただ単に人にほめられたくてやってる。それでいいじゃないかって。なんかごねごねとつらつらと理由を並べるよりずっと本能的だし格好いいじゃんかって。
もっとガラクタで良いんだって。


やっと肩に乗っかる大量の干し草の少しは降ろすことが出来てきた。



僕の内部の両者はまだ完全にその役割になりきれていない。僕の想像力はまだまだ「不思議の国のアリス」ほど時空をゆがめられてはいないし、内部の幼児の無垢とエグさはそこまでの濃度ではない。ただ見つけていくべき何かと降ろすべき干し草の量が少しずつ見えてきた気がする。

コメント

  1. 僕がアフロにあこがれをいだいたのは「カッコイイ」と思ったからであって、でもそれは表面的な部分で、中身には違う思いもちらほらあって。    髪型の場合はそういう簡単な理由でもいいけど、ミュージシャンや画家が「ほめられたい」とか「ちやほやされたい」とか、そういう理由をもってる人は、そこ止まりな人になりそうじゃないですか?

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    1. もちろん大きな目標が目の前に無限にあってそれに挑もうとしています。ただその意志を持ち続ける為に必要な原動力はそういうもんじゃないかなと思うのです。

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  2. はじめまして。林さんの絵が好きでブログも拝見しています。

    芸術家とかクリエイターとか肩書きがついてしまうと
    創作物にテーマやメッセージが当然あるんだろうと言われがちですが
    そうである必要はないと思います。
    テーマが無いということはないにしても、表現することの最初の動機は
    「人に伝えたい」よりも「自分が観たい(聴きたいetc)」だと思うので。
    自分の中身を見たいとか、吐き出したいとか。あるいは外側の世界を
    表現する場合も、それが自分にはどう感じられているのかとか。
    何事も「自分」を通さなければ話にならない。
    それでいて他者の存在も不可欠。「表現欲=見て欲しい」ですから。
    それは独りよがりではないと思うのです。
    各々の「自分」が、他者の「自分」に呼応し惹きつけられていく。
    それがアート(に限りませんが)の醍醐味ではないでしょうか。

    思わず長文になってしまい、すみません。(Koga)

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    1. そうだと思います。ただただ見て欲しい、それだけです。どやっ!て見せてええやろ!って言いたい、だから創るんだと思います。まだ僕はええやろ!って偉そうな顔して見せれるほどの画は描けてない。だからやらなあかんと思っています。いつかそう言いたいですが、描けば描くほど僕の中にいる批評家は厳しくなるのでなかなか難しいです。。

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  3. わたしは、林さんと同じぐらいの年です。
    理由はなんであれ、どの林さんの絵を見ても、伝えたい事が真っ直ぐに伝わってくるので好きです。

    少しぐらい欲がないといいものはできないんじゃないか?
    と、わたしは思っています。
    ミュージシャンも、最初は「モテたくて」とかで、始めた人が成功してるのは、欲があったからだと思います。
    人間で、欲がない人はいない。

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    1. 僕の中にある一番の欲は でっかいこと言いたい ってことです。でっかいこと言いたくて、でも言ったからにはやらなあかんし、言ったのにやらへんのはやなのでやらななって思う。自転車でアメリカ大陸横断したいとか言ってはみたもののなんでかわからん、でもそういう 言いたくなったもの って大事な欲だと思います。

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  4. ピカソやダリなどの芸術家も、そういう理由をもっていたと思いますか?

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    1. 別に誰の言ってることが正解ではなくて僕が思ってることが僕の答えなんで、他の人らがどういう理由で画を描いていようと僕にはようわからんです。
      でも何かそういう理性じゃないもんがなきゃやってらんねぇだろ!!っと思います。

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