大人になること

最近、寝る前と起きてすぐ、そのあいだの局所局所のタイミングでよく本を読む。本を読んでると自分も文章を書きたくなるので、日記を書く。それと同時にこれから始まる色々の前に何となく自分自身を整理したいのでつべこべ書く。

僕の一つ上の姉は今日、成人式を迎えはりまして、晴れ着を着てはりました。テレビでも成人式の話題はちょくちょく目にした。来年2013年の自分の成人式の日には僕は大阪にはいないだろうから、成人式というやらの行事は経験しないだろう。別にそういう式典が特別好きでもないし、会いたい友達とはそんなキッカケがなくても会えるからいいや。それに感動とか感謝と面と向かってお話しするのはちょっと苦手やし。それで、僕はふと大人になる。とはなんなんだろうかと考えてみた。

大人になる。

僕は今まで「大人になったなぁ」とか「まだまだ子供だなぁ」とかそんなコトを考えたことは一切ない。そういう価値判断で自分を見たことない。「前よりいろいろわかってきた」とか「前まで内側にあったものがない気がする」とかそういう漠然とした気持ちはよく感じる。

僕が中学生のときは周りの子は「大人=お酒、たばこ」みたいな思考を持っていて、そういうものに手を出す子も多かった。僕はそういう傾向とは近くて少し離れた距離を保っていて、そういう類いのものへの関心はいっさいなかった。逆にそういうカタチだけの背伸びが格好わるい気がしていた。


ここで責任について考える。僕が初めて責任を考えたのは、中学生の頃だと思う。初めて舞台美術に携わることになった。そのときの僕は今よりも無責任で、あまり何かに携わるということが何なのかわかっていなかった。その舞台において僕のやるべきことは何も出来ていなかった。そう感じたのは舞台が終わったときで、自分の役目を全う出来なかったと強く感じた。その経験は今思えばスゴく重大な経験で、それがあって以来、引き受けたことは責任もってやろうと思うようになった。そう思えた時、少し大事なことがわかった気がした。


ピーターパンシンドローム。
ガチガチの辞書より引用させて頂くと、成熟することを拒否し、いつまでも子供のままでいたいと願う現代人の心理学的指向。

僕は今まであまり早く大人になりたいとか子供のままでいたいとか考えたことがない。小さい頃は何となくあったけど今は別に何も感じない。そういえば14歳の頃に出版した画集「心臓とダチョウの羽」で僕はこんなことを言っている。

「子供の頃にすごくても、大人になってダメになった人、知ってるよ」と大人は言った。僕は思った。大人になってどうであれ、将来を考えるなんてバカみたいだ。
今を創らないと。今を生きないと。

今まで、否応無しに「 ”その年齢で” この画を描けることはスゴい。」だとかと評価されてきた。僕は今まで早くその呪縛から離れたかった。そういう観点じゃない見方で自分の作品を見て欲しかった。いつも、もしこの作品がどっかのオッサンが描いていたらなんてコトのない画なのだろうか、と問いながら描いてきた。全て除外して闘いたかった。またそれとは裏腹にその ”年齢” を利用する自分もいてる気がしていた。それが僕はスゴく嫌だったし、自分の甘さを感じていた。

今、僕がもっと子供だった頃の漠然とした世界への抗う気持ちはカタチ変えずに心にあるのかはわからない。ただ今の僕の心の大部分を占める感覚は内側を攻撃してえぐり出した何かを吐き出す感じ。どちらが良いのかはわからないが、前者の方が健全そうなイメージを受ける。もしくは今、心で抗ってる何か得体の知れない世界があったとしたら、その標的はすこしずつ日に日に大きくなっていってる。

ピーターパンシンドローム。
僕は今までそういうのを一切感じたことがない。だけど子供のままでいたいとは思わないかわりに、子供である期間が短すぎると思う。今しか出来ないことが山ほどあって、例えばクロールとか野宿とか。大人になっても何でも出来るけど、今みたいに無責任な暴走はできないんだろう。だから、いつか僕に少しずつつけられていくキーホルダーでジャリジャリと重くなって身動きが取れなくなる前にやるべきことがあるはずだと思っている。



小学生のころ一時期、僕のクラスの子はみんな消しゴムのカスを集めて真っ黒な "ねりけし" をつくって遊ぶのがはやってた。「まとまるくん」でつくる ”ねりけし” が高品質と見なされて皆それで延ばして遊んだりしてた。中学の時に画材屋さんでデッサン用に使用する210円の "ねりけし" が普通に売ってるのを見て、あの時みんなが一生懸命カスを集めて作ってた黒い固まりは何だったんだと思った。

中学生の時、展覧会の打ち合わせに呼ばれてそこに行った時、「関係者以外立ち入り禁止」のドアを開いてそのオフィスへ入った。その「関係者以外立ち入り禁止」を超える緊張感を味わった。その後、その特別なドアは回数を重ねるごとに特別でなくなった。

”知る” ということはスゴく大切なことだ。”知る” 直前のドキドキ感を感じれるから。
真っ黒の”ねりけし” はその頃の僕らにとってはただの消しカスの集合体ではなかった。僕はその感覚を取り戻すことは出来ないが、その感覚を尊重することはしなければならないと思う。


自分の十年後を想像する。僕はもともと血気盛んでバイタリティー溢れる顔はしていない。だからそのままそうなってると思う。何を考えていて、何をしているかは知らんが、今と同じような画は描いていたくない。それが変化だから。

20歳という区切りで晴れて大人になる、というそのクギリってのは大事だなって思う。いつでも時間的なクギリがあるから前に進める気がする。

僕は2006年から5年とちょっとの間、日記のような落書き帳をたまに気が向いたときにつけている。2008年正月に「こんな大人にはならない」というのを書いていた。

・タバコはすわない
・ハゲてたらスキンヘッドにする

また2009年正月には

・タバコはすわん
・不実行
・カワズ
・思考砂漠化
・生きるシカバネ

その通りに生きよう。


コメント

  1. 僕は、大学に入ったらアフロにするって決めて、目標にして、高校受験を乗り越えました。 
    大人=アフロっていう、そういうイメージが当時の僕にはあったんです。
    高校生になった今となれば、大学に行く理由はそんなものじゃなくなっていて、色んなことを考えるようになっていて。
    でもハゲる前に、一度はアフロにします。

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  2. だいたい最初にあったイメージと現実って違うことが多いけど、それはそれで面白いなって思います。色々知ったら、冷静になって真面目になってたら面白くないんで。それとアフロは同じかはわかんないけど。。
    アフロ、試してみて下さいな。僕は邪魔そうなんでやらないですが〜

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  3. はじめまして。初めてコメントします。
    私は小学生の時、タケシの誰でもピカソを見て、
    林さんを知りました。私はそれまでも絵をかくのが好きだったんですが、あなたの絵を見て価値観が変わりました。自分の絵も変わりました。
    いつか林さんみたいに
    自分の心の中にあるモノを思うように
    描ける、絵描きになりたいです。
    なんかいきなりすいませんでした><
    これからもブログ、読みますね!

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  4. 久しぶりっ(^o^)覚えてるかな?あえて名前は出さんとくわ(笑)
    何となく久しぶりに林俊作って調べたら色々出てきてびっくりした!!
    俺はいますごく悩んでてーでも俊作が活躍してる姿見たら
    自分めっちゃ小さいな!って感じて何か元気でた!ありがとう(^-^)
    これからも活躍期待してます、応援するな♪
    そーいえば中学校の時俊作に書いてもらった
    絵まだ大事に持ってるわ(笑)またコメントします♪

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    1. Shunsaku Hayashi2012年2月8日 7:42

      メッセージありがとう!それと画も置いとってくれてありがとう!文章的にあいつかな?とか推測はしてるんやけど、全く違う人かもしれん。。。ヒントくださーい!またコメントも待ってるわー

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