網膜剥離と自転車


02/04
コノ4ヶ月の間で高校3年にもなり新しいクラスにもなってた。
そんな中、1ヶ月前、僕は左目に網膜剥離が偶然見つかり
1週間ほど病院のベッドに横たわってた。
もともと何の違和感も無かく、ただ何となくメガネを1年くらい換えてなかった
ので、一応いっとこかな~ってフラッと眼科に検診に行ったら
「メガネ換えるどころじゃないですよ!」なんてイキナリ言われて
コロコロ転がるように病院のベッドの上だった。
手術は強膜内陥術という1時間半くらいかかる手術で
それなりに痛いと聞いてたので嫌やな~なんて思ってたけど
それよりよりによって目の手術ってコトがショックだった。
でも、ま~コレも良い画の刺激なるやろうなんて気楽に考えてた。

そして手術の日。
筋肉注射で力が抜けた荷物はストレッチャーで
途中受け渡しエリアで中継ぎされ、バーコード確認後、手術台まで運搬される。
運ばれていく僕は天井を見ながら何か不思議な気持ちだった。
手術室に入ったとき、何人もの医者が周りを囲んでて、
ふいに画の素材になるもんないかと人や器具を右目でぐるりと見回したが
何も見えなくて歯がゆかったのを覚えてる。
その後はマナ板の鯉で煮るなり焼くなりどうにでもしてくれって感じだった。
1時間半は長いと思ったが、段々痛みと自分が置かれてる状況、
左目の視野の端っこに薄っすら見える医師の姿にも慢性化して
やはり不思議な気持ちだった。
局部麻酔で意識はあるしただただ不思議な感じやった。

1週間の入院後、今は手術や手術後の目の感じなんかを画にしてる。
高校の国語の教科書に書いてた正岡子規についての論文「平気」で
絶筆三句を死ぬ間際に自分の事を冷静に客観的に例える子規は生粋の
滑稽の心を持った俳人だと述べられていて、それを読んで、この気持ちは持たないといけない
と思った。

入院中は15ページくらい雑記帳に日記やら画のアイデアをつけてた。
やはり1週間の入院は高2から高3にかけて考えることを整理できる期間だった。

高3は高2とは何か違う。
というかカナリ違う。
今はまだ運動なんかは出来ない分、勉強なんかもしなあかんよなって気持ちになる。
         *
春休みはほとんど家にいなかった気がする。
2年の終了式も行かず旅に出た。
自転車旅だ。
僕が尊敬する画家さんの家に突撃するための旅。

1年半前に愛媛までこれもアポなしで自転車で行ったときは会えなかった。
その後は連絡して「今いますか?」なんて聞いてたけど、いつ聞いても
画家さんは忙しくて会えなかった。
最近なって、やっぱ突然じゃないと面白ないやろって気が沸々と
込み上げてきて、じゃ~いま行っちゃえって思って行っちゃった。

なぜ自転車なのか?というと、僕はその画家さんの画を見て
生きザマを知ってしまったのに、これでぶらり電車旅なんてふわっとした
コトしたら僕がその人の画を見て感じた衝撃が嘘になる気がしたから。

春は気候変動が激しく雨の日が続いた。
晴れたのは僕が東京から大阪に帰ってきた日の翌日だった。
少し疲れてたけど、今行くしかないやろうと思って朝8時から走り出した。
自転車をこぎながら、1年半前の自分に闘うつもりで走り続けた。
まず2日かけて直島へ行った。
直島はART島と聞いてたので楽しみだった。
言って見るとやはり何か面白くて、どこまでが芸術なんやろって気持ちになった。
その後、泊まったドミトリーの住人とも仲良くなり良い時間だった。
大竹さんの「はいしゃ」が1番好きだった。直島滞在は1日とチョッとやったけど
3回見に行った。あと地中海美術館の安藤忠雄さんの建築も
スケールがでかくてこんなトコ飾る作品はなんでも良く見えるよって力が抜けた。
それから大竹さんの「I LOVE 湯」に入りながら、これからどうやって愛媛に上陸するか考えた。
直島から宇和島までどう行くか?ドミトリーの住人に調べてもらったりして、
やっぱしまなみ街道を通って行くのが一番いいとわかった。
4日かけて宇和島まで行った。しまなみ街道はあいにくの雨模様で
残念だったが、道路標識に≪尾道まで124キロ≫なんて書いてあっても、
あ~あと10時間走れば余裕やななんて完全おかしなってた。
驚いたことに1年半前より断然スピードは速くなってた。
1日120キロを目安にこぎまくった。

へとへとになって着いた宇和島で僕は画家さんの家のインターフォンをならした。
何時間か待ってると遠くからフラフラ歩いてくるおっちゃんがいて、
あっと思って挨拶した。
宇和島で出会った画家さんは土木作業員のおっちゃんみたいだった。
その後は連れられるままアトリエや食べ物屋に行った。
終始話を聞いてた。そして泊めてもらって次の日には帰路を辿った。
その画家さんが言うこと一つ一つは僕の画家として、人間として生きてく気持ちを
強固にするが、プレッシャーに感じる必要はないなんて言ってくれたけど、
僕は逆にこれから僕の画で、どこまで面白い世界観を創れるか楽しみになった。

自転車で山を4つ5つ越え海岸沿いをウネウネ、断続的に降る通り雨、
ガタガタになっていくのは身体より自転車で、最後にはカゴとか泥よけのネジが
飛んで外れたからガムテープでグルグル巻きにして帰ってきた。
10日間走行距離700キロの旅が終わる頃には、また行かなアカンなって気持ちになった。
直島でのドミトリーの住人、何も言ってないのに仲良くなって美術館に入れてくれた
美術館の関係者のおっちゃん、定食をおごってくれた定食屋「かねや」のおじちゃんおばちゃん、
自転車が動かんなった時タダで修理してくれた自転車屋の爺さん、
日も落ち暗くなったころ同じ大阪人やからって自転車と僕を車に乗っけて山を降りてくれた夫婦・・・
大阪→直島→宇和島→大阪を電車でトコトコ行ってたら
気付かなかったコトとか出会えなかった人々、
やっぱまた自転車で行かなな!

大人になってく中で、これからもどこまでも自転車で人に会いに行く気持ち
さえあれば僕が画家として生きる大事なトコは変わらないと思った。


その後、落ち着くまもなく網膜剥離で入院。
でもその時感じたのは、旅前に見つかってなくて良かったな~ってコト。
見つかってたら止められてたやろうから。

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